だんだん正念場

9月27日(水)

Y病院診察日。

9月28日(木)

KZさんに報告、相談。

t

9月28日(金)

午後、グループホームで母、足を骨折。

午後6時ごろ駆けつけて、ホームと提携しているDクリニック院長の説明をうかがう。…厳しいかも

9月30日(土)

T医大整形外科の専門医の所見を聞く。

グループホームには戻れるようなので、そこだけは少しだけホッとする。

…が、自身、様々負担。

つぶれないように、セーフティーネットの確認を!

人間

人間ってそれぞれなんかこう、色々抱えてる。

多くの場合それは外から正しい形では見えない。

そのせいで誤解が生じたり、うんざりした気持ちになったりする。

色々うまくいかなすぎて、人生があまりにもなんかこう残酷すぎて、

なんかもういっそ死にたくなったりする。

辛すぎて死にたくなったりする。

死んだら多分天国も地獄もなく、ただ無になるだけで、夜寝て夢も見ずぐっすり眠ってる時と同じ状態。

もういっそ永遠にそのままになりたい。

そんな気持ちになることってやっぱあるよ。誰だって。

あなたが抱えてるそれがどんなに「他の人とは圧倒的に遥かに違う、特別で壮絶な悲しみ」に思えても、

案外そんなレベルのアレを抱えてる人って結構いっぱいいる。

別に不幸比べをして「一等賞の人しか泣いちゃいけません」みたいな話じゃない。

もっと現実的な話だ。

人生なんてどうせいつか終わるんだ。

死を願わなくたっていずれちゃんと終わる。

絶対に終わる。

死ぬんだよ。

めちゃめちゃ悲しい事があって、耐えられなくて、もう死にたくなっても、その「死にたいほどの辛さ」をどうにか乗り越えて頑張って生きる事を選んでも、いつか誠に残念ながら、死ぬ。

それが人生。

不本意な死を遂げた人をたくさん見てきた。

その死に顔を視てきた。

ただただ壮絶だった。

悲壮だった。

哀れだった。

生き物からただの「物」になる時、なんであんなにも生命に満ちた般若みたいな顔が出来るんだろう。

多分だけど、きっと、死にたくないのにいきなり死んだから。

不本意な死。

望んで死にゆく人なんて一体どれだけ居るだろう。

俺は今すごく幸せ。

ぶっちゃけいつ死んでもいいと思ってる。

人生に投げやりなんじゃなくて、今が人生の最高潮だから。

今人生がここで終わっても、「最高の人生でした。超満足ゥ!」って言ってピースして死ねる。

HIVの検査結果を怖いと思ったこともない。

脳のMRIに映った動脈瘤を怖いと思ったこともない。

嘘。

昔は超怖かった。

死にたくなかった。死ぬのが怖かったし、死の要因になりうる欠損が自分の胎内に在ることが耐え難いほどに怖かった。

だってその時俺はまだ何も成し遂げてなかったから。

まともな恋愛もしてないのに、まだ誰からも愛されてないのに、何一つ満たされてないのに、満たされた気持ちになった瞬間すらないのに、折角産まれたのに、何とも繋がらず死んでいくなんて、こんな無情な事あるかよ馬鹿って思った。

本当に辛くて、悲しくて、苦しくて、色々呪って、恨んで、自分より幸せそうな人を全部ナチュラルに見下して、自分だけが悲劇のヒーローで、俺はこんなに辛くて苦しいのを我慢していきてるのに助けてくれない全ての「幸せそうな人」が憎かった。

そんなにお前らキラキラしてるんだから、少しくらいワケてくれよって思った。

でも誰も分けてはくれなかった。

結局のところ俺が「人に乞うてるだけの乞食野郎」だったから。

幸せってさ、人に与えないと絶対帰ってこないんだよ。

どんなに超絶辛くて悲しくて孤独で耐え難くて黒い感情が溢れてきても、

それでもそれをもうマジで血の涙流すくらいのつもりで我慢して、笑って、人を笑わせて、少しでも温かい気持ちを人に与えて、少しでも出来ることをして、優しくして、そうやってようやく1ミリだけ本当の優しさって返ってくるんだ。

その事を知らない人に、心から同情する。

きっと機会に恵まれなかっただけ。

その人が悪いわけじゃない。

願わくばその「機会のひとつ」になれたらいいけど、俺もかなり相当愚鈍な人間だから、99%うまくいかなくて、悪い結果になる。

でも1%だけ「遼があの時ああしてくれたから、今自分は生きることを選べてるし、生きることを肯定的に捉えることが出来てる」って言ってくれるひとがいる。

別に「俺ってすげーやつだろ」っていいたいわけじゃないの。

クソみたいに不幸のどん底に偶然配置されて、もう這い上がる気力もわかなくて、でもそれでも最後の最後で人生諦められないなら、人に優しくなるしか無いんだよ。

もうほんと、それしかないの。

自分の辛さの中に閉じ籠もってちゃダメ。

そこから這い出るのがどれだけ過酷なことかなんてもうマジで散々知ってる。

失敗して致命傷食らった人も実際死んだ人もいるけど、それでも。

お前が笑ったら、その顔を見て嬉しくなるやつがいるんだよ。

責任持てよ。

愛されちゃったら責任が発生するんだよ。

お前の苦しみはもうその時点でお前だけのものじゃないの。

頼る覚悟をしろ。甘える覚悟をしろ。他人を卑しく浅ましく利用して「不本意な何か」に寄りかかりながらでも立たなきゃいけねーんだよ。

で、立ったらちゃんと笑わせるの。

もうほんと最低最悪にくそ滑っていいから、全力で脳細胞使って面白いこと言え。

そうしたらお前のその心意気で誰かの心がちゃんと動くから。

そしたらお前の人生もそこから動くから。

お前はもう自分の人生そこから動かないつもりかも知んないけど絶対お前が思い込んでるよりは動いちゃうもんだから人生って。

笑えよ。

薄っぺらい偽善とか綺麗事とかカッコつけで言ってんじゃないぞ。

本当に心から愛した人を自分の落ち度で失って取り返しがつかなくなっても、それでも笑え。

てめえが今めそめそしてんのは弔いにすらなってねーんだって気づけ。

ほんとに愛してたなら、笑えよ。それしかないの。

それだけが愛の証明なの。

想像とか妄想の綺麗事で言ってんじゃないの。

俺だって本当に「自分が死んだほうが1000000倍マシ」な相手を失って、もうほんと死にてーな、死んだら楽だなって思って、そのビチグソみたいな状態で5年生きて、その上で言ってんの。

死んだ愛する人の弔いって、笑って幸せになって、人を幸せにすることだけなんだよ。マジで。

それしかないの。

いつまでも悲劇のヒロインにホロ酔ってたいなら勝手にしてろ。

それもお前の自由だし、お前の選択だし、それだって実際は尊いんだ。

単に俺はそういうのあんま好きじゃないってだけ。

俺をこんなに幸せな気持ちにしてくれた人が死んだ。

その人のその想いに報いるには今笑うしかないの。

死ぬほど辛くても笑うしかないの。

そしたら「色々もう深いところまで知ってるつもり」のお前すら知らないものがちゃんと見えるから。

それだけはもうマジ約束するから。

わかったかボケが死ねクソったれ

日蝕・一月物語

日蝕・一月物語』(平野啓一郎新潮文庫 読了です。

日蝕」は芥川賞受賞後すぐに読んだことがあります。

概ねストーリーや文体は覚えていましたが、やはり年月が経つと、興味ある部分も変化していました。

当時は一風変わった文体やストーリーを面白く読んでいたと記憶していますが、今読むと、「何をどのように表現しようとしたか」にとても興味がありました。

そして、それは大変成功しているように感じました。

「一月物語」は初めて読みました。

こちらも舞台こそ違え、「日蝕」と同じ作風の作品で、とても好ましく面白く読むことができました。

まだまだ若い時分の作品のため、確かに弱いような印象も受けます。

それでも、確固たる彼の個性が感じられる作品だったと思います。

平野啓一郎は少し前に『決壊』も読みました。

こちらはストーリーは面白かったのですが、非常に荒い印象も受けました。

日蝕・一月物語』の作風を進めていった方が良かったんじゃないかな。

解説も、平野啓一郎の作風の変化を大きく取り上げています。

「いろんなタイプの作品に挑戦していることこそ本質だ」といったような論調だったと思いますが、私はやはり「何をどのように表現するか」に興味があります。

そういう意味では、今の作風は成功しているのか、疑問に思わざるを得ません。

大宮!

9/16-9/17

大宮ライブ

数日前からecoIDELoffが点滅していたので

今日しか行けないから朝一で車屋さんに行き、バッテリーの交換となりました

そのまま東鷲宮に向かってそこからは電車

大宮駅でチケット受け取って

ミスドでドーナツもらえるのでわざわざ行ってひと休み

会場に向かうといつもとなんか違う

開演時間間違えて1時間 早く来ちゃいました。

ガラポンは5000円投資して

写真9枚とブレス

去年以来の京都から来てくれた方とも会えた!

なかなか地方の方には会えないからって来てくれた!

2日目は台風だけど、

前日寄れなかったOBに寄って

お昼

ケーキセットにしました

大宮まで車で初めて行くときめて

言ったけど他の駐車場に入る渋滞にはまり

車で来たことを後悔

ガラポンやるつもりはなかったけど

座席向かう途中にあるし、手元にはチケット売れたお金が……

お金があるよ、でも駐車場代あるんだよと

迷ったから間取って4回挑戦

写真2枚とフォトブックとタオル

昨日より物は良い

ブログで特別な公演とか言っていたけど

なんと200回目のライブなんだって

そして特別に好きなあの曲歌った。

席は2日間同じような席でそんなのは嫌だ

と1階譲ってもらって21列目

今年もっとも前です。

始まってから席交換してだとか周りがやってて

スタッフがにらみきかせてチケット確認されてた。

怪しい動きはわかるのね

となり空いてたはずがどこからかやって来た。

こっちのチケット確認してほしかったわー。

めっちゃ眩しいの振るし踊るし……

帰りに

誕生日の友達にサプライズでプレゼント

帰りは駐車場タダー

入り口近くに停めたからなかなか出れなくて

少し待ってから出たら

警備員がそのまま出てくださいって。

えっ?お金は?と聞いたら

壊れてるから大丈夫です(*`・ω・)ゞと

わーーい

湯沢高原:リベンジ!

夏休みにイケなかった湯沢高原、リベンジしてきました(^_^;)

http://SNS.jp/view_diary.pl?id=1962542662&owner_id=2475630

9月28日 木曜日

早めに退社。マンションで着替え、半袖ワイシャツをまとめてクリーニングに出す。

その後新幹線にて帰省しました。

そして9月28日は下の娘の誕生日・・・18歳おめでとう(^_^)

そして金曜日

嫁さんと好天の秋ドライブの旅!

とりあえず越後湯沢までドライブし、駅周辺の温泉街でランチ。

居酒屋系の昼営業でしたが、個室が空いてたので、二人でゆっくり食事できました。

で、湯沢高原ロープウェイで一気に高原まで!

http://www.yuzawakogen.com/topics/933

紅葉にはまだ早かったのですが、ライトなトレッキングコースで「アルプの里」へ

途中のテラスとかで休憩しながら、1時間半ほどのお散歩を満喫しました。

UPはその景色と、色付いたコキア。

で、ロープウェイで下る前に無料の足湯につかってリフレッシュ(^_^;)

去りゆく夏を楽しみました。

そしてまったりな土曜日

私以外全員出掛けたので、家の事やNetなど・・・さて、本の続きでも読むか??

明日夜にさいたま戻るので、それまで週末を堪能します。

本日は以上。

先々週の台風で延期の「あきはなびまつり」

順延の今日ですが・・・天気はダイジョウブか??

成長の窓

『未知の自分』という言葉を聞いたことありますか。

自分も知らない一面とか、潜在能力とかです。

心理学に『ジョハリの窓』という説があります。

周囲からあなたはこういう性格あるよねと言われて、初めて気づくことありませんか。

ジョハリの窓には4つの窓があります。

A.自分も他者も知っている自分(明るい窓)

B.自分は知らないけど他者は知っている自分(盲目の窓)

C.自分は知っているけれど他者は知らない自分(隠された窓)

D.自分も他者も知らない自分(未知の窓)

この4つの窓を通して、私達は自分自身を知ることができます。

BやDの盲目の窓と未知の窓があなたの

「成長の窓」と言われています。

たとえ、嫌な面を指摘されるかもしれませんが、それを切っ掛けに成長できるからです。

いい面を言われたら、それを伸ばせばいいのです。

未知の窓は何かの体験で気づくことだと私は思います。

そのような、占い師に指摘されて気づくこと等もあります。

可能性がある窓を開け、大きくしてCの隠された窓を小さくして、風通しを良くしましょう。

未知の自分には隠された宝石が眠っています。

聖書に『はじめに言葉ありき』と書いてあります。

言葉には力があります。

天国言葉と地獄言葉があります。

天国言葉を使うと幸せになるといいます。

『愛してます。

ついている。

嬉しい。

楽しい。

しあわせ。

ありがとう。

ゆるします』

地獄言葉を使うと嫌なことが起きると言われています。

『恐れている。

ついてない。

不平不満。

ぐち・泣き言。

悪口・文句。

心配ごと。

ゆるせない 』

成長の窓

見つけるのはあなた

導きがありますように。

合掌